智仁勇を備え、その誉れ世に高き、心やさしい君主
最上義光
最上家第十一代当主。
斜陽の最上家家督相続後は、謀略というよりも柔軟さと手数の多さで出羽統一に乗りだし、分裂していた一族の統合にあたる。
斜陽の最上家家督相続後は、謀略というよりも柔軟さと手数の多さで出羽統一に乗りだし、分裂していた一族の統合にあたる。
国力で勝る甥・政宗には合従連衡策で対抗した。
関ヶ原合戦では徳川方につき、豊臣方の直江兼続(なおえかねつぐ)率いる上杉勢相手に山形防衛に成功。
反転攻勢して庄内領有を達成し、五十七万石の大大名となる。
治水灌漑工事、最上川三難所整備、商業奨励、紅花栽培の開始、都市基盤の整備、「米券法」の制定等、内政において実力を発揮し、現在にまで続く山形の礎を築いた。
連歌をはじめ、文化面での功績も大きい。彼の統治期間は農民一揆が一度も発生しなかったという。
政宗が大崎に侵攻した際は、夫人の実家に救援に駆けつけ、政宗と全面戦争に発展すると、妹 お東の方に諭され軍を退き、娘 駒姫が秀吉に殺されると家康とともに豊臣方と戦うなど女性とのエピソードが多い。
最上義光 関連史跡
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