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上杉謙信(うえすぎけんしん)の跡を継いだ上杉景勝(うえすぎかげかつ)の執政として上杉家の内政軍事全般を取り仕切った。
謙信が急死すると、後継者をめぐって御舘の乱が勃発する。越後を二分する争いで、景勝を勝利させると、若干20歳前後で景勝の側近中の側近として上杉家を取り仕切る。
謙信の思想である、毘沙門信仰=謙信信仰を引き継いだ。室町幕府を滅ぼした天敵 織田信長が本能寺の変で死去すると、後継者として実力者になった豊臣秀吉(とよとみひでよし)に臣従し、秀吉に上杉家は忠義をつくすことになる。
秀吉からの信頼があつい兼続は、同じ年齢で、豊臣家への忠義にあつい石田三成と親交を深くした。秀吉は、上杉家が越後から福島へ移封になる際に、移封後の120万石のうち米沢30万石を兼続に与えるように命じたという。
この厚遇と石田三成との親交が、豊臣家への上杉のいっそうの忠勤をさせる結果となる。関ヶ原敗戦後は、領地が米沢・福島と四分の一に減った。収入を補うために、治水事業や産業、学問所をおこし国力の増強に努めた。
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