切り裂く突進騎兵
相馬義胤
相馬家16代当主。
政宗の祖父の晴宗の代より伊達家と戦闘状態になり50年にわたる伊達と相馬の争いが続いた。
南下して勢力拡大をはかる政宗と西進する相馬義胤と度々戦闘を起こしている。
政宗の祖父の晴宗の代より伊達家と戦闘状態になり50年にわたる伊達と相馬の争いが続いた。
南下して勢力拡大をはかる政宗と西進する相馬義胤と度々戦闘を起こしている。
戦では先陣を切って、矢のように突っ込んできたことから恐れられていた。
政宗との抗争も、最終的には圧倒的に拡大した伊達家の前に相馬家滅亡の危機を迎える。しかし、豊臣秀吉(とよとみひでよし)に政宗が降伏したため最終的な戦闘は回避された。江戸時代になっても伊達家との遺恨は残り、死後も遺言で甲冑を着けて北(仙台)をむいて埋葬されたという。現代でも遺恨は残っていると言われ、相馬地方の人は政宗をこころよく思っていない人が多いという。
相馬義胤 関連史跡
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