戦国浪漫 南奥羽戦国記 猫御前と伊達政宗の旅する南東北 戦国まち歩き

上杉の会津移封と秀吉の死

1598年 奥羽参上と秀吉の死

 

蒲生氏郷の死去により、伊達と徳川の押さえとして、越後より上杉は会津に移封になる。
北に伊達、南に徳川をけん制する。
しかし、移封になった直後、豊臣秀吉が死去する。
秀吉の死により朝鮮出兵は終了するが、朝鮮で戦っていたものと、国内にいた石田三成との間には憎悪が満ち溢れていた。
徳川家康はその隙をみのがさない。

 


直江兼続

私もよくよく運のない男だな。京が遠くなる

上杉、会津に降り立つ
日本国中が朝鮮戦役に疲弊するなか、徳川家康は朝鮮に出兵することなく国力を蓄えていた。
そんな中、北の伊達、南の徳川をおさえる役割の会津 蒲生氏郷が死去する。
豊臣秀吉と石田三成は、その役割を上杉景勝に託すべく上杉に会津移封をいいわたす。
上杉は先祖代々の土地越後を離れることを渋ったが、天下人の命令のため行かざるをえなかった。

 


直江兼続

秀吉様が亡くなられたか。天下が動くぞ

秀吉の死がもたらす天下の動乱
120万石の超大国になった上杉であったが、朝鮮戦役の最中の移封であり、新天地会津の内政をする時間はあまりなかった。
そのような中、豊臣秀吉が突然倒れる。
上杉景勝は上洛し、死期が近い秀吉の枕元で、秀吉死去後の豊臣家を託される。

 


直江兼続

家康の好き勝手これ以上捨て置いてなるものか

徳川の傀儡政治
徳川家康、上杉景勝、毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家の五大老が、豊臣家を守る約束を秀吉に誓う中、秀吉は死去する。
残された遺児 豊臣秀頼は5歳。
秀頼の最大の後見人である家康は、その地位を利用し秀頼の名をつかった傀儡の独裁政治をすすめる。
さらに他の五大老を中央政治から追い出すために謀略を駆使する。

 

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