戦国浪漫 南奥羽戦国記 猫御前と伊達政宗の旅する南東北 戦国まち歩き

天下への意地と武門の意地が激突する

1600年 ROAD TO 関が原

 

越後から会津に移封になって2年。
朝鮮戦役もあり会津領内の整備は整っていなかった。
街道を整備し、城や土塁を整備し、上杉は臨戦態勢にはいる。
そんな上杉に対し家康は謀反の疑いをかけ上杉に上洛するよう命令した。
しかし、決戦を決意している上杉にとって上洛する気はない。
直江状をもって徳川家康に宣戦布告する。
家康は傀儡の7歳豊臣秀頼の名の下、上杉征伐を開始する。
徳川派と豊臣派の権力抗争は最高潮に達する

 


直江兼続

家康殿、あなた方と話す言葉は、
この直江はもちあわせておりません。

武門の意地!徳川家康を迎え撃つ
年があけると神指城の築城を本格化させる。
手狭になった若松城に対し、行政と戦闘機能の二つを持ち合わせた巨大な城が建設されはじめた。
この上杉の行動に対し、徳川家康は謀反の疑いをかけ、弁明の為の上洛を上杉に要求する。
これに対し直江兼続は直江状をもって返答する。
文句があるならかかってこい。
家康は傀儡の7歳豊臣秀頼の名の元に上杉征伐の軍をおこす。

 


直江兼続

戦いとは二手三手先を読んでおこなうもの。
ここか革籠原。家康の死地となる場所だ

上杉のフロントライン
会津への道は七つあった。
家康は白河口を侵攻して来るとにらんだ上杉は、白河の南部に広がる革籠原を決戦場に選んだ。
徳川派は上杉を攻めるため、津川口から前田、堀、信夫口から伊達、米沢口から最上、仙道口は佐竹が進撃の準備を始める。

 


直江兼続

佐竹義宣殿、期待しておりますよ。
共に家康を撃ち天下を分かち合いましょう

天下の忠臣 豊臣の石田、上杉の直江、徳川との決戦を決意
仙道口の佐竹義宣は石田三成や直江兼続の盟友で、徳川に味方するふりをしていた。
徳川家康が攻めてきたところで裏切る予定だった。
そのため、人質を要求する家康に対し、のらりくらりとかわしていた。

 

1600年 ROAD TO 関が原 関連史跡

津川城
新潟県
会津に上杉が移封になってからは、上杉家家臣 藤田信吉が城...
大森城
福島県
上杉の会津移封により上杉領になった大森城は、北の伊達への...
伏拝坂
福島県
徳川との戦いが避けられない状況の中、上杉家家臣で非戦派の...
神指城
福島県
山城で戦闘向きのの向羽黒山城と平城で行政向きの鶴ヶ城の両...
向羽黒山城
福島県
葦名盛氏の隠居城であったが、平城の会津黒川城に比べ山城の...
赤舘
福島県
白河決戦の際に、仙道口を担当していた佐竹義宣は、徳川の命...
長沼城
福島県
白河決戦の際の後方支援基地。三重の掘と土塁の一部が残っている
小峰城
福島県
白河決戦の際の前線基地
<<前のポイントを表示 次のポイントを表示>>

上杉の南奥羽戦国史