戦国浪漫 南奥羽戦国記 猫御前と伊達政宗の旅する南東北 戦国まち歩き

戦いの幕開け 奥州の隻眼の竜と奥羽の毘沙門天

1600年7月 白石の陣

 

小山まで進撃してきた徳川軍に呼応するように伊達政宗は上杉の城である白石城の攻略に乗り出す。
豊臣秀吉によって取り上げられた福島・米沢を取り戻し、天下の覇者に名乗りをあげるべく再び政宗の戦いがはじまった。

 


伊達政宗

奥羽が、天下が誰のものかということをあらためて思い知らせてやる。
上杉にだけでなく徳川にもだ

 

返って来た成実
上杉の注意が徳川にむいていることを、伊達の忍者集団黒脛衆の情報網により掴んでいた伊達政宗はその機会を狙っていた。
そこへ白石城城主甘糟景継が不在という情報を手に入れる。
城主不在を知った政宗は電光石火。
白石城を急襲する。

 


伊達政宗

さすが小十郎の息子。鬼小十郎と名乗るが良い

 

小十郎の名を継ぐもの
城主不在の中、伊達の猛攻を防いでいた上杉軍であった。
しかし、片倉小十郎の息子、15歳の二代目小十郎や浜田冶部など伊達軍の新世代の活躍もあり落城寸前であった。
さらに、白石城の場内から内応者があらわれ門が開かれ、白石城は落城。
政宗は、秀吉の奥州仕置以来の失地白石を取り戻した。

 


伊達政宗

命をかけて切り取った城を放棄しろだと?家康めそんなに政宗が怖いのか

 

家康の命令
城をとった政宗のもとに、徳川家康より使者が訪れる。
使者は、大坂で石田三成が反乱の兵を挙げた、この石田三成との戦がすむまでむやみに軍をうごかすな、白石から撤退せよと。
しかしせっかくとった城をむざむざと返すのは心苦しく、かといって家康の命令を拒否することもできなかった

 


伊達政宗

浜田、そなたの命、伊達のため捧げてもらう

 

浜田の決死の決意
政宗は軍を退く決断をした。
浜田冶部と僅かな手勢を城に残した。
落城直後の城であり、上杉の反撃をうけたらひとたまりもなかった。
しかし、家康の命令とはいえ、ただで上杉に城を返すのもいやだった。
浜田は死を覚悟して城を守備した。
しかし幸いにも政宗の外交手腕によって一時、伊達・上杉は停戦となる。

 

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